日建協アーカイブス ④日建協発展期(1985~現在)
日建協は1954年12月12日に結成し、今年で58年目に入りました。これまでの日建協の時短活動の歴史を4号に渡ってご紹介します。
④日建協発展期(1985~現在)
1985年の3月に日建協で初めてファクシミリが導入された頃、国際的にみて、日本の経済的地位は非常に高い水準となっていました。
一方で、「国民の真の豊かさ」や「ゆとり」が不足しているという社会的認識が広がりをみせはじめました。
そうした社会情勢を背景に、1989年には日建協加盟組合の日曜日の休日取得率も約90%になるなど、日曜日は休日ということがようやく定着しはじめました。同年、日建協は「1993年までに年間総労働時間1,800時間を達成する」という目標を掲げた日建協中期時短方針 「ゆとりプラン ’93」を策定し、経営者とも協働し、行政官庁の協力を得て「ゆとりとうるおい」の実現にむけ動きはじめました。
このプランの最大の特徴は、「完全週休2日の制度導入」が最重要課題であり、93年度には加盟組合の9割で導入されました。しかし、「外勤は土曜日が休めない」「内外勤の格差が広がる」との声から、日建協の時短への取り組みの比重は土曜閉所の促進に移っていきました。1991年度には「土曜閉所運動」を建設産業で初めて推進し、全国紙・業界紙などにも意見広告を打ち、広く内外に問題提起・意識喚起を行いました。
この活動は、内閣府をはじめとした行政や業界団体にも認識され、土曜日を休むという気運は高まりつつありますが、今もまだ解決できない問題として続いています。