「夢十夜」は夏目漱石の代表的作品のひとつです。
漱石が夢を語るという形で示唆的でもあり不思議な世界が展開していきます。
今回は私たち労働組合の周りで起きている身近なテーマを、
夢で見た物語という形で表現しました。
見てはいけない夢もありました。
また、「賃金」など喫緊の問題は別のページで扱っていますので、
今回は残念ですが「夢七夜」とさせていただきたいと思います。


第一夜 セクハラ
こんな夢を見た。
インターネットの中にいた。世界はやたらきらびやかである。現実の世界が埃にまみれ、排気ガスの漂う世界であるのに対し、真空の空間は澄み切っていてすべてが電光色である。眩しくてサングラスがいるが、これもまたなかなかの絶景である。まるで香港のナイトクラブに足を踏み入れた感じである。ただ、たまに、カチッとかカチカチッとかという爆音とともに、衝撃波に襲われるのには閉口する。

最近気がかりなことがあった。隣の女が何か訴えかけるような視線を投げかけてくる。少なくとも自分に好意を寄せていないことだけは確かであった。ここ数年新入社員の採用を手控えているため、仕事の負担が以前にも増してこの女にかかってきた。その恨みかもしれないと思って無視していた。またはいつもパソコンと向かい合っているため、極度のテクノストレスかもしれなかった。

折角だからこの機会にこの女のメールに入ってみることにした。夥しい数のメールだ。これだけメールをやり取りしていたらとても時間内に仕事はこなせまい。中にはラブレターもある。差出人は部長だった。こうやって証拠として残るのに堂々とタイトルにそう書くところが大胆不敵だ。成る程最初は部長の部下を労わる気持ちなのは解った。途中から邪まな気持ちが出てきたようだ。最近はかなり高価なプレゼントもしている。

それでこの女の視線の意味が解った。早速部長に探りを入れた。案の定開き直った。自分の娘と同じ年頃の女が自分に好意を寄せることが非現実的であることに気がつかない部長もどうかしていた。当然の如く労わりの気持ちからでも相手が嫌悪を感じるのであればセクハラになるであろうことは知る由もなかった。


第二夜 自己啓発
こんな夢を見た。
7時を過ぎていた。目は虚ろで顔色は悪い。とてもできそうにない。その白い顔を覗き込んでできるのかとたずねると、できるんですもの仕方がないわ、といった。女は勤め先で事務の仕事を終えると毎日ここへきていた。毎日ピッチング1本だけ持って、1球打っては考え、考えては1球打っている。ホールインワンをめざすのだという。

この数年で球筋はプロなみになったが、どうも1打で直径10センチの穴にいれるのは、技術を超えた向こうの世界のような気がする。もう1度できるのかと訊ねると、10年待てますかという。女がいうには本業以外のことでも毎日毎日繰り返し、10年もたてばプロのレベルに達するという。だから10年待てという。しばらくは成程と感心し、女のいう
マラソンシステムも凄いものだと思っていた。

しかし、10年もたつまでにこの女のことは忘れていた。騙されたとも思った。この日曜日、一年を締めくくる女子の大会をやっていた。バックナインをショートホールだけでなくことごとくピッチングで決めてくる選手がクローズアップされていた。そうか、もう10年経っていたんだなと思った。

※「マラソンシステム」樋口健夫著:氏の開発した才能を探すための最も有効で具体的なシステムのこと。アイデアマラソンを長期間続けることで自己への探求が進み思考の集中が段階的に増す。アイデアマラソンで目覚めた自分の得意部分の発送領域を最適化・本格化・現実化させるのがサブシステム群である。

第三夜 成果主義
こんな夢を見た。
部長の前を辞して、ネットワークの配線伝いに自分の机へ戻ると蛍光灯がまぶしく自分の机の上を照らしている。肩ひざをついてノートをあげると軽快なサウンドとともにウィンドウズが立ち上がった。

肩ひざをついたまま、クリックを繰り返していると、隠していたところにちゃんとあった。あれば安心だから、画面を閉じて、椅子に深く座りなおした。すると、命令を下したばかりの部長が目の前に立っていた。お前はA考課者である。A考課者ならできぬはずはあるまい。そういつまでもできぬところをみるとお前はA考課者ではあるまい。人間の屑じゃといった。ははあ怒ったなと云って笑った。口惜しければ成果を持ってこいといってぷいと向こうを向いた。けしからん。

今日のうちに必ず成果をあげてみせる。あげた上で、今夜、部長のところへ行ってやる。そうして成果と引替えに部長の謝罪を求める。成果をあげなければ、部長に謝罪させられない。どうしても成果をあげなければならない。自分はA考課者である。

もし成果をあげなければ辞表をメールで送ってやる。A考課者がはずかしめられてこの会社に居続ける訳には行かない。きれいに辞めてしまおう。

こう考えたとき、右手は自然に何回もクリックを繰り返し、辞表を画面にひきずり出していた。この2文字が電光色のタイトルとなって眩しく光っていた。A考課者のプライドが凝縮されてこの2文字に刃のように向けられた。なんとしてでも成果をあげねばなるまい。あげて謝罪を要求するのだ。唇はわなわなと震えた。それから、いろんなことを考えた。その内に頭が変になった。

はっと思った。周りを見回した。皆手に汗を滲ませ画面の一点を凝視していた。A考課者は自分ひとりではなかった。

第四夜 メンタルヘルス
こんな夢を見た。
ひどい鬱病に悩まされていた。毎朝仕事場へ行くのが億劫になる。自分は心の底から営業マンであると思っていたが、新年早々給与計算担当に回されてすっかり滅入ってしまっていた。異動から6箇月以内に鬱病になり、さらに異動の心理的負担が3段階中最悪であったため労災認定まで受けた。夜床に就くときは何ともないのだが、朝になるとだめだ。惰性でも仕事に行ければ幸せだと思った。

先日医師から鬱病であると告げられた。処方通り抗鬱剤を飲むがなかなか効かない。医師の許可もおりたので量を倍にしたら結構良くなった。幸い副作用も軽く済んだ。途中、自分の人生に関わる大問題もあったが、医師のアドバイス通り先送りにした。なに当時の政府のやり方にくらべれば軽いもんだった。途中回復を自覚できたが、大事をとって即断はしなかった。

家族や職場の協力があったのは何よりも幸運であった。一時は自殺も考えたが回復できて本当に良かった。その後、心のリハビリもできた。半日出勤も理解してもらった。ある程度仕事のストレスもあった方がメリハリが利いて良かったとさえ思えるようになった。再発を防ぐために自分の価値観やものに対する考え方も随分と変えた。これまで大分周りにも迷惑をかけたが、つくづく心の健康は周囲のケアが大切なんだなと悟ったところで目が覚めた。


第五夜 雇用延長
こんな夢を見た。
運慶が護国寺の地下でトンネルを掘っているという評判だから、散歩ながら行ってみると、自分よりも先に大勢集まってしきりに下馬評をやっていた。威厳のある山門の仁王やこのあたりの佇まいは鎌倉時代を思わせる。ところが見ているものは自分と同じく平成の人間である。「すごいもんだなあ」と云っている。「超高層ビルを建てるよりも余っ程骨が折れるだろう」とも云っている。人々はいろんなことを云っているが然し、運慶の方では下馬評を一切感知せず一生懸命掘っている。

眺めていた一人の若い男が自分の方を振り向いて、「さすが運慶だな、眼中に我々なしだ。天下の英雄はただトンネルと我とあるのみという態度だ。天晴れだ」といって褒めだした。「あのツルハシとスコップの使い方を見給え。大自在の妙境に達している」「よくああ無造作に道具を使ってあんなくねくね曲がったトンネルが掘れるものだな」と感心した。するとさっきの若い男が「図面とにらめっこして掘るのではない。あの通りの複雑なトンネルが地中深くに埋まっているのをスコップとツルハシで掘り出すまでだ」

自分はこの時掘削とはそんなものかと思った。果たしてそうなら誰にでもできるだろうと思い出した。それで急に自分も掘ってみたくなったから見物をやめて早速家に帰った。裏庭の土を何箇所も掘り返したが、不幸にも掘り当てることができなかった。遂に平成の土にはトンネルは埋まってないものだと思った。成る程運慶ほどの腕があればいつまでも掘り続けられるのだと思った。自分も能力さえあれば何歳までも働けるのだと思った。ましてや60歳をすぎて働くことはたやすいことに思われた。

運慶:鎌倉時代の仏師。12世紀末奈良の東大寺や興福寺の復興に際し名作を残した

第六夜 公共事業
こんな夢を見た。
デパートで買い物をしていた。すると巨大なアトリウムの上の方から地獄の門が開くような大音響がしてやがて天井が崩れ落ちてきた。幸い、開店直後で人影が疎らであったので、寸でのところで逃げることができた。先日も、台風の日に橋の上を車で走っていたら、突然後の方で橋桁が落ちた。幸いにも一命を取り留めた。

なんだか最近物騒だ。確か随分前に建設不況とかいって世の中が騒いでいたときにそれまで巨大なアトリウムを作ったことがないとか、橋なんて小川にしか架けたことがないとかというような建設会社が、価格破壊などといって仕事をとりまくっていた。果たしてちゃんと設計基準を満たしていたかどうか随分怪しい。これではおちおち街も歩けたものではなかった。

歩けないどころか随分道路も痛んできた。雨が降れば下水から汚水が溢れ出す。最近はごみを処理するところも少なくなったので、街角はすべてごみの山だ。下水から逆流した汚水がこのごみの山を突き崩し、悪臭と共に街中を奔流して不快極まりない。もう随分前にごみの処理場は住民の許可がなければ設置できなくなっていたが、既設の処理場でも、住民から操業停止に追い込まれたところも少なくなかった。そのために街中にごみが溢れ出したのだった。

その当時確かに無駄といわれる公共事業はあった。各方面から強烈な批判がなされたのも時代の流れであったに違いない。然し大昔からこの国の人々は思想的に反対に振れ出すと勢いを止めない。徹底的にやる。この時代も新たな公共投資には非常に消極的になった。最近になってその綻びがいろいろな所で出てきた。公共事業決定に占める住民パワーが余りにも増大したため、自分の住んでいる地域でしか公共事業を評価できなくなり、国造りという大きな視点を失ってしまった。同じ様に建設会社が不当に利益を得ているという批判が不良業者をのさばらせ手抜き工事が横行した。国の競争力を失わせたり、住み難いどころか危険極まりない街にしてしまったりした。なぜこの当時の人たちは中庸ということを考えられなかったのだろうかと義憤に堪えなくなったところで目が覚めた。

第七夜 この国の行く末
夢の続きを見た。
建設事業が減ったり工事代金が廉価になって建設市場が半減し、この業界は慌てふためいていた。どこも体質改善して起死回生を図るべく懸命の努力を重ねていた。みんな仲良く生き残ろうなんて最早不可能と解っていたが、自らは何もできずにもがき苦しんでいた。

止むに止まれず監督官庁が再編促進策を出したが、虚しく不発に終わっていた。他の産業は「
神の見えざる手※」によって市場が優勝劣敗で淘汰していたが、どうもこの業界だけはさすがの神様も手をこまねいている様子であった。この業界には神様と同じくらい力のある天の声があるのかもしれなかった。

つい最近までこの国とアメリカの景気は逆転していた。アメリカはまだ双子の赤字から脱しきれていなかった。景気に光明を見出すべく現大統領の父君が経営者団体を引き連れ、この国を訪れ市場開放を迫った時代が懐かしかった。随分前に高度成長を始めてからはこの国では勝利の3連立方程式が出来上がっていた。

一つ目は規制金利であった。人は預金金利が安くても銀行に貯金し、企業も借入金利が高くても借金した。長い間この金利は固定されたため、銀行には豊富な資金が蓄えられ重厚長大産業を中心に経済成長を磐石にすべく再投資された。企業の側はこれを与えられたコストとしてこれを上回る利益を確保すべく業績向上に向け邁進した。一方預金者は低利息にもかかわらず質素倹約に努め、後世代に美田を残すのを美徳とした。

二つ目は中央集権財政であった。国全体の税金の3分の2が国税で残りが地方税であった。しかし実際に使われるのは地方が3分の2であり国はその残りであった。つまり国は徴収した税金の半分を交付税や補助金として地方に移転する。人も企業もどの地方にいても中央とほぼ同等のサービスが受けられるようになり、全国で産業が活性化した。

三つ目は産業のスピードであった。大半の産業で大半の企業で欧米先進国から学びに学んだ。極論すれば学ぶ先で疑問を持つことさえタブーであった。優れているところは即自社に採り入れなければならなかった。疑問を持つことは即ちこの国のライバル企業に負けることにつながった。

この3連立方程式が機能している間、この国の経済の勢いを誰も止めることができなかった。然し氷河期のマンモスの如く次第に変化していく環境に対応できなかった。1980年台半ばを境にしてこの3連立方程式が逆噴射を始めた。

一つ目の方程式のおかげで融資側でリスクが読めなくなった。今後成長するビジネスが皆目見当がつかなくなっていた。そのため担保を提供できるところへのみ融資し、さらに担保の範囲内でしか融資できなくなっていた。融資する側の業績向上は融資額を増やすことであったが、将来性のある新規ビジネスを探す能力を持たないため融資額を増やすためには担保価値をあまく査定し膨らますことであった。これが膨らみすぎて弾けてしまったのはほんの10年前のことであった。

二つ目の方程式のおかげで地方自治体の最大の業務が霞ヶ関詣でに堕したことであった。補助金に至っては配った名刺の厚さで額の多寡が左右されるとも噂されていた。この地を中心に各自治体の会館が乱立しているが、交付税や補助金を獲得するための前線基地であったとも噂されていた。経済縮小に伴い地方税収も激減したが、行革などしてがんばると地方交付税はダウンするシステムとなっていた。

三つ目の方程式のおかげで世界をリードする産業や企業が増えた。一旦最前線に出ると今度は学ぶ目標がなくなってしまった。疑問をもつことも許されない先進国を追随するという猛スピードのなかで次のビジネスを創造する力を醸成する余裕さえなかった。

一方で見事な過去の蓄積と豊かな人的資源を持ちながらなぜこの国は悪循環と閉塞状況に落ち込んでしまったのか。なぜ時代の変化をとらえ適応しようとしないのか。

発想を転換し自己改革ができないのは、国の規制にかくれて保護の便宜を享受し続けたいからか。もしくは業界の自己規制の陰で既得権の利益を手放したくないからか。いずれにしても過去の延長線上の硬直性に埋没して思考を停止してしまったのかもしれない。いや思考してもそれを外に向けて発する勇気を失ってしまったのかもしれない。この思考停止状態が現在の危機の本質なのかもしれなかった。■

※古典経済学者アダムスミスの言葉:市場まかせにして当局が介入しないと売り手と買い手の折り合いがつかず混乱するとの説に対し、自由競争の保障される市場では売り手と買い手の折り合いは適正な価格で折り合いがつくとした。当局が介入しないまでも市場という神の見えざる手が折り合いをつけるとした。

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