<早春編>
節分とヴァレンタイン
お正月も終わり、寒い陽気とは裏腹に、暦では春が始まります。
この季節の行事の中から、
私たちの生活になじみ深い節分とバレンタインデーを取り上げてみました。
え? バレンタインなんて関係ない?
まあそうおっしゃらず、一緒に由来を探ってみようではありませんか。
節分にはなぜ豆をまくか 節分とは季節の分かれ目のこと。1年の四季の分かれ目が立春、立夏、立秋、立冬ということはご存知ですね。この前日のことをすべて節分というのですが、立春正月の思想によって1年の始めを立春とするため、いつのころからか立春の前日の節分だけが強調されるようになりました。
浅草の豆まき
豆まきは冬から春への折り目の行事として行われます。この風習は日本では室町時代に始まったもので、中国から伝わった追儺(ついな)の儀式に由来すると思われます。
追儺は「鬼やらい」ともいい、疫病や災害を払う行事で、中国では紀元前三世紀の秦の時代にはすでに行われていました。病気や不吉なこと、災害は鬼にたとえられ、桃の弓や葦の矢、また戈(ほこ)と盾で追い出したのです。
遣唐使によって輸入された追儺の風習は、七〇六年文武天皇のとき疫病で人がたくさん死に、鬼やらいを行ったとされます。その後民間にも次第に広がり、八五〇年ごろから行事化したといわれています。
豆をまくことにはどんな意味があるのか
むかし鞍馬の奥に人々を苦しめる鬼が住んでいました。あるとき毘沙門天が現れて七人の賢者を呼び、三石三斗(約六〇〇?)の大豆で鬼の目を打ってやっつけろと命じた話が伝わっています。鬼の目を打つのでまめ「魔目」といい、魔滅にも通じるからともいわれます。
成田山の節分
では豆を炒るのはなぜでしょうか。
むかし佐渡島に住む鬼が悪さをするので、神様がこれを退治しようと鬼と賭けをしました。一夜で北金山に百段の石段を築いたら鬼の勝ちにするというものでした。鬼は夜更けのうちに九九段まで石段を築いてしまったので、神様は一計を案じ鶏の鳴き声を真似すると、鶏たちはいっせいに「東天紅」と声を張り上げました。鬼は朝になったと勘違いして神様に降参しましたが、よほど悔しかったのか「豆の芽のころにまた来るぞ」といって退散しました。神様は豆の芽が出ないように、人々に豆を炒ることを命じたという話です。
豆まきの豆は福豆といい、節分の夜、年よりも一つ多く食べます。翌日の立春で一つ年を重ねるので来年の分まで福を、という厄除けのおまじないです。お年寄りのように年の数だけ食べるのはちょっと大変という場合は、年の数の豆に熱いお茶を注いで福茶に。そのお茶を飲むと年の数だけ食べたと同じご利益があるといわれます。
豆まきは冬の寒気や陰気を払い、新しい明るい春の陽気を迎える年迎えの行事といえます。新たな年が災厄におかされることなく、豊かな年になるようにとの願いが、鬼退治につながったのでしょう。
ヴァレンタインデーはどんな日か
二月十四日は、女性がチョコレートに託して愛を告白する日とされています。本来の二月十四日は愛の守護神・聖ヴァレンティノが殉教した日であり、自然界では小鳥たちが相手を選ぶ早春。それになぞらえて愛の季節とされました。恋人同士は贈り物を交わし、とくに女性から男性に恋を打ち明けてもよい日とされました。しかしそれに限らず、大切な人すべてに愛を伝える日として古くからお祝いしていました。
元来のヴァレンタインデーの源は別のところにあります。むかし、ローマに家畜と多産の神ファヌスがいましたが、この神はルペルクスという名で祭られ、豊穣と多産を祈る祭りが二月十五日に催されていました。これがヴァレンタインデーの原型とされています。神官は山羊の皮衣を着て市中をまわり、多産と安産のおまじないとして女性を山羊の皮ひもで打ちました。この豊穣と多産を祈るお祭りは春への解放につながり、中世紀の伝説と結びついてカトリックの祝日となり、現在のヴァレンタインデーとなったのです。
聖ヴァレティノの殉教
サン・ヴァレンティノは紀元一七五年ごろイタリアに生まれ、ローマ司祭となってキリストの愛を説きました。
しかし当時のローマでは、キリスト教はまだ異教として迫害されていました。ヴァレンティノはローマに抵抗し、キリストの愛を説き、愛する恋人たちをひそかにかくまって結婚させました。彼がローマ皇帝崇拝を拒否してキリストの信仰に生きたこと、また結婚禁止令に違反したかどで捕らえられ、二七三年二月十四日に処刑されました。首から下の遺体は生まれ故郷のテルニに送られ、一六〇五年に発見されたといわれ、そこに聖ヴァレンティノ教会が建てられています。ヴァレンティノは聖人に列せられ、一六四四年、二月十四日は祝日となりました。
愛の守護神の伝説
ヴァレンティノが愛の守護神として讃えられるようになった伝説です。
カトリック信者の娘と若いローマ軍人は愛し合う仲となりましたが、宗教の違いから結婚は許されませんでした。若い軍人はカトリックに改宗しようと聖ヴァレンティノの教会を訪れました。折も折り、娘が重い病気で二月十四日に息を引き取ったとき、若者は教会で愛を捧げて一心に祈り続け、そのまま天に召されていきました。天国で二人を結婚させたということで、聖ヴァレンティノは愛の守護神といわれるようになったというものです。
愛の芽生える日、小鳥も春をおぼえる日、そして愛に生きる若者の強力な保護者となった聖ヴァレンティノの祝日・・・。ヴァレンタインデーはこうして生まれました。
戦後、日本では商業主義の流れに乗ってチョコレートを贈る日となりました。たとえ義理チョコであっても、愛に触れる喜びはなかなかうれしいものだと思いませんか。■
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