ちょっとひといき・・・SL「てつざんまい」してきました ― 2012年秋 撮り鉄報告
2012年10月5日(金)夕方。今週末は、ただの3連休ではない。翌6日、東京から遠く本州の西、JR西日本の山口線においてSLやまぐち号がC57-1号機とC56-160号機の重連※1で走るのだ。通常はC57の1両のみで走るが、9月下旬の週末より4週間にわたり、この時期限定で重連となる。この4週間のうち、3連休は6日からのみ。熱血SL撮り鉄※2にとって、重連で非電化※3山口線での撮影と条件が揃えば、万難を排してでも行くべき重要イベントである。山口線ではここ数年、重連運転を行っているが、毎年趣向を変えている。復路の機関車連結方法は機関車が編成の最前部と最後部につくプッシュプル(PP)方式ではなく、重連で往復とも私の好きなC57貴婦人※4が前につくのでとても良い。どこで撮影するか頭の中でイメージが交錯する。毎年のことながら、この時期はワクワク・ソワソワ状態である。
ついに長駆12時間の夜行高速バスで出発である。3列シートとはいえ、寝台ではなく椅子である。腰も膝も痛く熟睡できない。まどろみながら6日(土)朝に湯田温泉に到着し、軽自動車のレンタカーで出発した。
さて、早速場所取り※5のため、往路1回目の撮影地である宮野・仁保間の有名撮影地近くの農道に到着した。廉価な一眼レフデジカメと、銀塩フィルムの愛機、ビデオ、三脚他を持って山の中の撮影ポイントへ移動する。本命のSL通過まで約1時間。露出・ピントを調整して、ひたすら待ち続ける。有名撮影地なのだが、本日私のポジションは珍しく一人だけ。近くの撮影地も4~5名程度。やはり東京-甲府間で天皇陛下が乗車されるお召列車に在京の鉄道ファンが集結しているから少ないのか。しかし、あまり撮影者が少ないと機関士の煙サービス※6が期待できない。
いよいよ重連の咆哮が聞こえてきた。身体がゾクゾクする。カーブの先に先頭のC57の姿が見えた。いつもながら鳥肌が立つ。この快感を得たいがために山口行きが止められない。機関士から私の姿が見えないからか、煙の出具合が今一つ。「参った」と思いながらもビデオを回し、カメラで写真を相次いで撮影した。煙を排出する「ぽっぽっぽっ」というドラフト音と汽笛の音の余韻に浸りながらも、早速次の撮影地に追っかけ※7開始である。
往路2回目は、長門峡駅発車直後の鉄橋から撮影する。やはり重連なので、この撮影地は凄い人である。鉄橋下で待ち構える。轟音とともに重連が近づくが、シャッターがきれない。しまった・・・。愛機の巻き上げに失敗した。お蔭で、デジカメのシャッター操作も忘れてしまい、見事写真は全部失敗である。ビデオのみ何とか撮れたが、残念無念、とても立ち直れない。しかし、落ち込んでいる暇はない。ここもすぐに撤収してレンタカーに飛び乗り、今度は徳佐駅の先のカーブへ。時間的に間に合うかどうか微妙である。しかも相当の追っかけ車が走っている。側道を法定速度で走りながら、途中地福駅近くで停車中の列車を追い抜いた。何とか間に合いそうである。
徳佐駅発車5分前くらいに撮影地到着。後ろには数十人の撮影者がいるので、立って撮影できない。座り込んで、座高の高さで三脚を調整する。車から走ってきたので息がきれる。来た! 驀進する姿を見送りつつ、往路3回目の撮影を終了した。
ここでそろそろゆっくりしたいところだが、今度は復路の上り撮影地へすぐに移動して場所取りをしなくてはいけない。県境を越え津和野の町に入ったが、観光もせずに町外れの田んぼ脇の本門前撮影地※8へ移動する。まずまずの場所を確保できた。上りSL通過まで2時間近くあるので、レンタカーの中でやっと朝買ったコンビニ昼食弁当にありついた。
30分前からは皆、緊張のスタンバイ状態に入る。太陽の光線状態次第で写真のイメージが変わる。皆、黙って露出を調整したりしながらその時を待つ。30~40人位はまわりにいるだろうか。そして津和野駅を定刻発車する汽笛の音が。復路も往路と同じくC57+C56の重連が爆煙で迫ってくる。天候も晴れてバリ順※9。言うことなし。多くの同業者の感動のため息の中、私たちのスターであるSLはすぐ脇を通過していった。このあと復路も往路同様に追っかけスタートである。復路2回目は渡川のカーブ俯瞰撮影で、復路3回目は篠目で豪快な煙を吐く駅発車後の雄姿を撮影した。あまりの感動に放心状態である。
16:30をすぎてまわりが暗くなってきた。4回目の追っかけはせず、経費削減で宮野温泉にある100円の公共浴場に浸かった。レンタカー返却前に時間があったので、私には珍しくライトアップされた夜の瑠璃光寺五重塔を散策した。宿泊は撮り鉄の回数をより増やすため、マンガ喫茶泊まりである。この年で良くやるなあと思う。パソコンでSL撮影地の最新情報収集を終え、深夜1時、充実した一日を振り返りながら、興奮状態のまま就寝した。
2日目の7日(日)は、レンタサイクルで登り坂を含む約10キロメートルを激走しての仁保・篠目間にある田代トンネル前での撮影など、まだまだ感動のドラマは続くのだが、とても語り尽くせない。2日間の感動を胸に秘め、後ろ髪を引かれる思いで寂しく帰りの夜行バスに乗った。8日朝に東京駅に無事帰り着き、この最高でかつ過酷な撮影行は終了した。誌面も尽きたので、この辺で私の趣味三昧の話しは終わりにしたい。
ところで、今回も一人旅である。こんな趣味を、いつも家族(妻、子供2人)を置いて良く続けられると思う。これも妻をはじめ家族の理解があるからだ。本当に感謝している。理解を得るため、鉄道好きにもかかわらず、経費削減のため夜行バスに乗り、寝心地は悪くても12時間1,780円くらいのマンガ喫茶に泊まっている。これでもたまには家族に「どこか行く?」とは聞いている。しかし、この私の趣味の世界についてくる家族がいるのだろうか。観光ゼロ。温泉宿泊ゼロ。地元の名物料理を食べることゼロ。撮影地までは夜行バスや青春18きっぷを使って快速や各駅停車のみで十時間近くかけて移動するのだから普通の人にはできない。あのドラフト音を間近にして撮影する喜びを思えば苦とも思わない私は普通ではないのか。恐らく、私たち加盟組合の中にも同じ趣味の人がいると思う。仲間と語り合いたい(・・・無理かな)。
来年は盛岡にC58-239が復活する。まだまだ頑張るぞ・・・(もちろん日建協活動も頑張ります)。
ー 完 ー