REMIND 3.11 ―東日本大震災を忘れない

日建協の社会貢献活動

みなさんから届けられたたくさんの絵本。HUG & READプロジェクトを通じて被災地の子供たちに届けました。

日建協では、これまでに東日本大震災の被災地支援として様々な活動を実施してきました。2011年は皆さんから寄せられた義援金、約4,500本の未使用タオル、約1,100冊の絵本を届けました。また、被災地の商品を購入する取り組みも行ってきました。

「今、被災地のために出来ることは何か?」と、ほとんどの日本人、いや世界中の人が考えた震災発生から1年半が経過し、被災地への思いが震災当時と比べて薄れている気がします。日建協本部3名は「震災の教訓を風化させてはいけない」「今も不自由な暮らしをしている被災者のことを忘れない」ように、宮城県七ヶ浜町でボランティア活動を行ってきました。

宮城県七ヶ浜町

私たちが今回ボランティアに行った七ヶ浜町は、宮城県の中部に位置しており、日本三景の松島の南岸を形成しています。東北地方の市町村の中で最小の面積で、海沿いに7つの浜があったことから七ヶ浜と名付けられたそうです。宮城県内でも有数の海水浴場やサーフスポットとして人気があります。また、明治時代に外国人避暑地として開発された町でもあります。

 

3月11日の大地震で、七ヶ浜町では震度5強を記録し、大津波警報が発令され、10m超の大津波が襲来しました。町内の沿岸全域で家屋等の全壊・流出、大津波浸水など壊滅的な被害が出て、七ヶ浜町内で亡くなった方は99名、行方不明者が6名(2012年8月29日現在)で、現在も、関係機関が全総力を上げて捜索活動を実施しています。

 

私たちが訪れた時は、震災直後の津波によって生じたがれきはほぼ撤去されているように見受けら

積み上げられたがれきの山

れました。幹線道路の周りは綺麗に整備されています。浜では数名がサーフィンをしていて、一見1年半前に大津波が襲ったところとは思えません。しかし、高台にはがれきの山(本当に山のよう)がそびえています。

 

 

 

 

Volunteer Report

東京駅前を出発

8月28日、夜22時30分、2列4席のバスにて東京駅前を出発しました。途中新宿、大宮でボランティア参加者を乗せ、バスは満席状態です。巨漢な私たちにはかなり狭い空間でした。早々に酔っぱらって寝ようと考えていましたが、バスの中は飲酒厳禁。この状態で寝れるのか心配でしたが、何とか眠りにつくことができました。明朝5時、東北自動車道国見SAに到着。ここで作業服に着替え、朝食をとり、準備完了です。コンビニに立ち寄り、水分補給用のドリンクを購入し、午前8時、七ヶ浜ボランティアセンターに到着しました。

 

七ヶ浜ボランティアセンターは、宮城県最大級のボランティアセンターとのことで、室内ゲートボール場の中に設置されています。室内には全国から寄せられた激励のメッセージが書かれた旗や千羽鶴が飾られており、ボランティアで使用するスコップや軍手が整然と並べられていました。私たちは、ここでボランティアと一目でわかるようチョッキを受け取り、ガムテープで作られた名札をチョッキの上に貼ります。

 

9時から、その日のボランティアの人数と作業内容に応じた「マッチング」が行われました。本日のボランティア参加者は約200名で全国各地から集まっています。被災地でのボランティアでは、このマ

ッチングが非常に重要です。いくら被災地のお役に立ちたいといって大勢でボランティアにきても、被災地での需要がないと、空振りとなってしまいます。ボランティアセンターの中には、ストーブやこたつなど行き場のない物資が山積みされていました。これはマッチングできなかった物資で、被災地にはたくさんのアンマッチが存在するようです。被災地のニーズは刻々と変化する中、アンマッチをいかに減らすかはこれからの課題といえるでしょう。

 

ボランティアが横一列になって畑を掘り起こしました。

さて、私たちは、マッチングを済ませ、ラジオ体操を実施し、作業場へ向かいました。午前中の作業は、畑の復旧作業です。大きながれき類はすでに撤去されていますが、津波でヘドロや土砂が堆積し、たくさんのがれきや石が含まれているそうです。耕運機の刃が壊れないよう私たちが表層を掘り起し、がれきや石を撤去します。私たちの持ち場は約100名での作業でした。

 

 

黙々と石ころを拾うボランティア達

作業は大変地道です。鍬(くわ)や鶴嘴(つるはし)を使って掘り起こしていきます。10cm掘り進むだけで固い石にあたり、作業は難航しました。30℃を超える暑さの中、なかなか作業が進まず、挫けそうになりましたが、「この埋まっているがれきは、元はここに住んでいる方の財産だったんだ。」「ここを震災前のように、たくさんの作物が育つ畑にするんだ。」という気持ちが私たちを後押ししてくれました。

 

畑の中に埋まっていたがれき類

ボランティアセンターに戻り、お昼の休憩を挟み、午後の作業開始です。午後の作業は宅地の不陸整正と石ころ拾いでした。午前中の開墾に比べると体力的には楽でした。100名近くの参加者は皆黙々と作業を行いました。次の日も同じ作業を実施する班と側溝の土砂を撤去する班に分かれ、作業を行い、2日間のボランティア活動を終了しました。

 

今回の参加者は、夏休みということもあって

畑から掘り起こされたがれきと雑草の山。ボランティアの汗の結晶です。

大学生がほとんどで、大阪や広島から参加している大学生もいました。彼らにボランティアの参加動機を尋ねると、「被災地のお役に立ちたい」「日本の復興のためにできることをやりたい」という志をもった学生ばかりでした。私は、日本の未来を真剣に考える若者が多くいることに大変感動するとともに、これからの日本の将来に一筋の光が見えた気分でした。「近頃の若いものは・・・」と言う私たちミドル世代は、胸に手をあてて自分を問い直さねばならないと感じました。

いま、被災地が求めているもの

震災から1年半が経過し、町は少しずつ元の景色を取り戻しているかにもみえますが、七ヶ浜町では、いまだ仮設住宅で暮らす人がたくさんおられます。家を建て直すにしても、元の土地で良いのか、高台に移転するのか、国や自治体の方針が定まっていないことが、被災者の皆さんが今、一番不安なことのようです。また方針の発表が遅いため、被災した家を自分で修繕して住み始めている方もたくさんいるとのことでした。

被災者の皆さんのために一番良い方策を一刻もはやく提示することが重要だということを現地に行って改めて気づかされました。

ボランティアに参加して

 

今回ボランティアに参加した日建協本部役員
左から山田、諸澤、平山

私たちは今回初めてボランティアに参加しました。

今回のボランティアで行った復旧作業は、地道な手作業で、一体いつ終わるのかわからない遠い道のりです。でも、微力だけど、無力じゃない。

そして、今もスタッフとして頑張る皆さんはもちろんのこと、志を高く持つ若い世代のボランティア志願者は、各地から続々と集まってきています。「絶望」の風景とは対照的に、彼らの堅固とした熱い思いに、眩い「希望」を印象付けられました。

震災復興は、彼らとともに乗り越えていけると確信します。

「みんないっしょなら日本の将来は明るい!」という気持ちにさせてもらい、たくさんの勇気をもらいました。

これから1年後、2年後、3年後・・・七ヶ浜町がどのように再生・復興したか訪ねてみたいと思います。

案ずるより生むが易し・・・悩んでいるより行動です。

文・写真:平山 勝基

 

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