2004年の幕があきました。新たな年を迎え、みなさんは今年1年をどのような年にしていきたいとお考えでしょうか。
 それにしても、最近、月日のたつのが早いこと早いこと。こう感じているのは、私だけではないでしょう。仕事に追われながら、余裕のない日々を過ごしていると、1年があっという間に過ぎていく感覚をおぼえます。また、現在の社会を取り巻く状況も、以前に比べ非常な速さで変化していることも確かです。急速なスピードで流れる今の時代のことを、犬が人間の7倍で年をとることにたとえ、ドッグイヤーというそうです。「時の流れに身をまかせ」という歌がありますが、このような時代だからこそ、しっかりと自分を見つめ、時代のスピードに流されないように日々、生活をしていきたいものです。
    


 最近、書店をのぞくと「日本語に関する本」、いわゆる日本語本が入り口近くの売れ筋コーナーに平積みされているのを見かけます。大ベストセラー「ハリー・ポッター」シリーズの横に肩を並べ、目立つところに置かれています。そして、負けないぐらいの売り上げをあげているそうです。何冊かを手に取って読んでみたところ、その内容は、日本語が持つリズムやテンポのここちよさややわらかさ、古典文学における文章・内容の味わい深さなど、日本語のすばらしさを再認識しようといった内容でした。
 このような日本語本ブームの裏には、社会に押し寄せるグローバル化への流れや、インターネット、携帯電話など、ITの普及による情報化社会への動き、そして、ドッグイヤーと言われるほどの時代のスピードの速さなどに対する、日本人の心の反動のようなものがあるのではないかと思われます。日本語が持つやわらかさが、一種の癒し効果となっているのでしょう。日本の文化は、「調和の文化」「わび・さびの文化」と言われています。現在の個人主義的な時代の流れ、時代のあわただしさに対し、このような日本文化のもつ特色が、日本人の心に安らぎやゆとりを与えているのだと感じます。
 今回は、この日本語ブームに便乗して、少し日本の文化について見直していきたいと思います。日々の生活に疲れたときなど、自分が日本人であることを再確認し、日本の文化に触れてみると心が落ち着き、安らぎを感じるかもしれません。
 それでは、古き良き日本の文化について、私たちの生活の中の、衣食住遊をキーワードにみていきたいと思います。

 体の横幅の増加に左右されない
 フレキシブルな着物

 それでは、衣食住遊のなかの、「衣」である衣服、着るものについてみてみましょう。現在では、日本人の普段着は完全に洋服化しています。日本独自の文化である着物は、日常生活のなかで着ることは、ほとんどなくなりました。特に男性については、全くといっていいほど、着物を着た人を見なくなりました。その点、女性については、普段はともかくとして、入学式、卒業式、成人式、結婚式などのあらたまった場で見かけることが多く、あでやかな色彩や柄の美しさは、華やかな式の場でも特に目をひきます。

江戸の着物。男ははっきりとした縦縞を、少し身幅を狭く仕立ててスリムに見せるのが着こなしのポイントだった。
 日本で着物が生まれたのは、平安時代になってからといわれています。着物は、布地を直線に裁ち、縫い合わせる「直線裁ち」という方法で簡単に作れること、また、寒暖に合わせた素材の選択や重ね着ができることなどから多くの種類が作られ、日本人の生活に根をおろしていきました。その後、着物は、政治的階級や季節の色の組み合わせなどにより日本独特の色の調和、美しさを重視しながら発展していきました。しかし、明治時代に入ると日本は、西洋の文化に強く影響され、政府が洋服の着用を推進したことなどから、徐々に洋服中心へと変化していきました。

 
着物は、帯、足袋、草履や下駄などを必要とするため、洋服の着やすさからすると、気軽に着られるものではありません。とはいえ、昔からの日本の文化である着物を着る機会が、だんだんと少なくなっている現状には、少し寂しさを感じます。

両国川開きの隅田川の花火。船宿や料理屋が金を出し合って人寄せ目的で花火を上げ始めたことが、日本の花火の技術を開花させた。
 実は、私も着物を一着持っていて、年に一回、お正月の元日にだけ袖を通します。新春の朝、気合を入れて帯を結ぶと、キュッと気持ちが引きしまり、「今年1年が始まった」という新鮮な気持ちになれます。足袋と下駄を履き、初詣に出かけた時などは、下駄の木の感触とアスファルトとの間に響く“カランコロン”という音が心地よく、日本人に生まれてよかったという実感がこみ上げてきます。本当に気持ちいいものですよ。

 また、私にとっての着物のすばらしさは、もう一つあります。実は、最大の利点であるといってもいいのですが、着物は、体に合わせて買うものではなく、買ったものを体に合わせて着こなすというところです。つまり、着物は、体の横幅の増加に左右されないフレキシブル性にもとんだ、経済的にも優れたものなのです。

 着物をさらに着やすくし、その手軽さとファッション性から見直されているのが、浴衣です。最近の夏祭りや花火大会では、さまざまなデザインの浴衣を目にするようになりました。男性の浴衣姿も増えてきています。デザインは、今風にファッショナブルになっていますが、夏の浴衣姿も、自分が日本人であることを感じさせてくれる一瞬のように感じます。今年の夏は、粋な浴衣姿にあなたも挑戦してみませんか。

 おにぎりと日本酒
 ・・・日本人に生まれてよかった

隅田川西岸の蔵前。蔵前の語源は幕府の米蔵がここにあったことから。
 次に、「食」についてです。ここでは、日本人が主食としてきた米についてのお話をしましょう。
 最近では、パン食も増え、一人当たりの米の消費量は、年々減少傾向にありますが、日本人が米を食べる頻度は、ほかの食品に比べて絶対的に高いといえると思います。この米が日本に入ってきたのは、はるか昔の紀元前のことです。米は江戸時代までの間、経済の中心であり、大名の格付けも米の石高で計られていました。また、日本の年中行事の多くが米作りに関係することからも、日本人の暮らしと米は、切っても切れない深い関係で成り立っていたことがわかると思います。しかし、この米が日本人の主食となったのは、つい最近のことなのです。第二次世界大戦前までは、雑穀(麦、あわ、ひえ)に米を2〜3割混ぜたご飯を食べていたほか、そば、いも、とうもろこし、大根、豆などが主食となっていました。

コミュニケーションを助けるという酒の役割は、いつでもどこでも変わらないようだ。また、雪の降る寒い日に炬燵で湯豆腐を肴にちびりちびり・・・江戸の風流だった。
 現在の米は、生産地によりブランド化され、その種類も多種にわたっています。最近では、これまでの精米方法では取りきれなかったぬかの部分を取り除き、米をとぐ手間を省いた無洗米なども登場してきました。この無洗米は、天然のぬかの部分だけを除去しており、手でとぐより、米肌にあるビタミンやナイアシンなどの栄養成分が流出することなく、従来の米より栄養価が高いということです。日本人として、栄養価が高く、手軽においしい米が食べられることは非常にしあわせなことです。現在では、レストランに行けば、フランス、イタリア、中国、韓国などの世界各国のさまざまな料理を食することができます。美味しく、高価なものは多々ありますが、行楽地や運動会などの行事の時、太陽の下で食べるおにぎりは、なににも勝るご馳走と感じる私は、やはり日本人なのですね。

 そして、米を原料とするものとして、まさに日本が生んだ伝統の飲み物、お酒を忘れてはいけないでしょう。和食には、やはりお酒です。寒い季節に食べるお鍋、お鍋にはお酒。これもりっぱな日本の食文化です。

 寝そべる心地よさ、
 お風呂で極楽気分

畳の部屋から縁側を眼下に庭の花を愛でる。現代の都会では得がたい最上のリラックス空間。
 次は、「住」である住居ですが、ここでは、住居そのものではなく、生活のなかの落ち着く場として安らぎを与える畳のよさと、疲れを癒すお風呂について取り上げたいと思います。
 まず、畳ですが、西洋ではこの「畳」が日本を表す代表的な言葉になっているそうです。その要因としては、畳を使う競技、そう、柔道が盛んであることあげられます。西洋の柔道の大会では、試合を行う場所のことを、そのまま“タタミ”と言うそうです。日本におけるこの畳の歴史は、今から1300年程前に生まれたとされています。平安時代には畳が敷蒲団の中心でした。“たたみ”とは、「重畳(かさねだたみ)する」「幾重にも積み重ねる」という意味で、最初は畳といっても、ただむしろを何枚か重ねて敷くだけのものでした。こうした何枚もむしろを重ねた畳のことを『古事記』や『日本書紀』の中では、八重畳(やえだたみ)と呼んでいます。また、現在の畳のように広い部屋全体に敷き詰めるようになったのは室町時代の末からだそうです。

 最近のマンションなどでは、畳を敷き詰めた和室の部屋が少なくなり、フローリングタイプの洋室スタイルが多くなっているそうです。寝そべって本を読んだり、昼寝をする時などは、この畳の上が非常に心地よく気持ちがいいと感じます。また、新品の畳の井草の香りに安らぎを感じる人もいるのではないでしょうか。現在では、フローリングを簡単に畳にすることができる半畳タイプのユニット式の畳やカラフルなカラー畳などがあるそうです。

江戸時代の湯屋。男女混浴も珍しくなかった。ざくろ口をくぐると浴槽があるが、手のひら2枚分程度の明り取りの狐窓があるだけで、かなり暗い浴槽だった。
 次は、リラックスとリフレッシュにはかかせないお風呂についてです。
 深い浴槽に首までつかると一日の疲れが体全体から取れていき、“ふぅ〜、極楽極楽”と思わず声に出てしまうお風呂。シャワーやサウナではなく、この首までどっぷりとつかるお風呂のスタイルは、まさに日本独特のものです。また、西洋では、身体を洗濯するという目的のためだけにシャワーを使用しますが、日本人は、お風呂を楽しみの一つとして生活のなかに取り入れています。日本人のお風呂好きは有名ですが、その歴史は、6世紀半ばの仏教伝来の時期までさかのぼります。もともと、当時のお風呂は、宗教的な儀式の一部で、身体の汚れを落とすことよりはむしろ、精神を清めるという意義があったそうです。(→ルーツを探れ) 精神を清めるという意味では多少違いはありますが、私などは、浴槽につかるとなぜかその日の反省をする癖があります。反省が多過ぎて、ついつい長風呂になりがちですが・・・。

 このように、日本人におけるお風呂は、肉体面で疲れを癒す役割もありますが、気分転換や精神面でのリラックス効果という役割ももっています。

 何回見てもうならせる
 「世界のクロサワ」

 衣食住遊の最後が「遊」、遊び・娯楽という意味です。
 娯楽についてさかのぼると、江戸の大衆娯楽として庶民の間で楽しまれ、現在でも日本の文化芸能として人々に親しまれている歌舞伎などがあげられます。が、私自身この世界についての知識がほとんどなく、みなさんにお伝えすることが難しいため、ここでは、大衆娯楽であり鑑賞する楽しさという点で一致している活動写真、映画についてお話させていただきます。

活動も映画もなかったころの庶民の娯楽は芝居や見世物など。これは中村座木戸表の様子。世界初の有料映画公開は、1895(明治28)年のパリだった。
 日本において活動写真が最初に登場したのは、明治30年のことです。当時の活動写真は、上映時間が15分程度のもので、寄席などの合間の呼び物として上映され人気がありました。初期の活動写真は、無声映像で、音声については、弁士が俳優の声色をつかってセリフをしゃべるというスタイルでした。ちなみに、トーキーといわれる発声映画が上映されたのは、昭和に入ってからのことです。

 最近の日本映画は、人気、興行成績からみても完全に洋画におされています。そのような中、北野武監督やアニメの宮崎駿監督が世界的に活躍していることは、非常に喜ばしいことだと感じます。また、少しさかのぼりますが、日本映画界にとって、世界に誇れる最大の財産「世界のクロサワ」、黒澤明監督を忘れてはいけないでしょう。

さしたるイベントも少なかった時代、寺社の開帳(厨子を開き秘仏を公開する)や縁日は待ち遠しいハレの日。さまざまな見世物が現れた。
 この黒澤監督が映画界に登場したのが、1943年のデビュー作「姿三四郎」です。その後、黒澤監督は、毎年1〜2本のペースで精力的に作品を作りつづけヒットをとばします。特に有名なものが、1954年に発表した「七人の侍」です。ご存知のように、この「七人の侍」は、海外でも上映され、スター・ウォーズで有名なジョージ・ルーカス監督やスティーブン・スピルバーグ監督にも多大な影響を与えています。また、スティーブ・マックインやユル・ブリンナーが出演した「荒野の七人」も「七人の侍」を西部劇化した作品であることは有名です。「七人の侍」は、ベネチア映画祭で国際賞を受賞し、黒澤映画のすばらしさを世界に広めました。莫大な製作金額、大スターを投入し、派手なアクションやSFXを駆使した特殊映像、バーチャルな世界とサクセスストーリーという面白さ楽しさを持つハリウッド映画もすばらしいですが、白黒映像のよさ、生身の人間が演じる人間くささ、監督の妥協なきまでの映像へのこだわり、ストーリーの面白さ、そして、主人公「菊千代」を演じた三船敏郎をはじめ、志村喬などの個性的な俳優陣、「七人の侍」は、どこをとっても最高の映画に値します。黒澤監督の映画は、その他の作品のどれをとっても面白く、壮大なスケールで描いた「影武者」が世界的にもヒットしたのは記憶に新しいところです。黒澤監督は、ともに映画に取り組んできた三船敏郎が逝った翌年の1998年9月、30本の名作を残し88歳で亡くなりました。

 「世界のクロサワ」の映画は、最近DVDとしても発売されています。休日のひと時、日本が誇る最高の娯楽映画をぜひ堪能してみてはいかがでしょうか。

 「和をもって貴しとなす」は
 グローバル化の障害なのか?

日本人の心「和」
 日本人の衣食住遊をキーワードに、日常生活における日本の文化についてみてきました。
 次に、日本人の心、精神の文化について考えたいと思います。日本人の精神、思想的なものについては、専門家などからさまざまな意見が出されていますが、ここでは、日本人の価値観の最も根幹を成す「和」の精神についてお話ししたいと思います。

昔、東京は花の名所だった。人工的に開いた江戸は屑箱のように汚かったので、将軍吉宗が飛鳥山、隅田川堤、品川御殿山、小金井、玉川上水などに桜を植えて緑化したからだ。これは御殿山。
 7世紀のはじめに、聖徳太子が作った十七条憲法の第一条に「和をもって貴しとなす」と示されているように、「和」の精神は日本人の心に伝統的に流れています。この「和」は、自然との調和、人との調和、そして平和などといったものを意味しており、日本人の思想として、これまで受け継がれてきました。
 自然との調和については、西洋の文化が、人間を重視し、理性的に社会を築き、自然、環境を人間のために変えていこうとする考え方に対し、日本の文化は、自然と調和し、自然と一体であることを望みました。春夏秋冬で移りゆく景色、暑さ、寒さについて、それに合わせるように生きる文化です。自然をあるがままに愛し、桜や紅葉などの季節を楽しみ、そして、旬のものを楽しむ。人工的な派手さではなく、自然の美しさ、繊細さ、静けさを愛しました。

もともと山里にあった桜を都市で愛でる風習は、やはり吉宗の時代に江戸の町で始まった。これは明治期、ビゴーの描いた向島の油彩。
 また、日本人は、人との調和を大切にしてきました。人を思いやり、個人より周囲との輪や人とのつながりを重視してきました。日本は島国であり、そこで生活する人々は、村という集団の単位の中で生活してきました。集団の中での生活は、生活する人々のつながりをより強いものとし、その中での独自の文化が形成されました。その中から、信頼が生まれ、集団の中の強固な和が育っていきました。他人を思いやり、調和を重んじる心、そこに日本の良さがありました。

 現在、学者や評論家の中には、この日本固有の集団的思想が、現在のグローバル化や個人主義への転換のなかで、障害になっているとする人たちがいます。

亀戸梅屋敷。梅花を愛でる人は男性が多く、一句ひねろうという墨客ばかりだった。酒の騒ぎは桜にまかせ、梅はひたすら風流に堪能した。
 確かに、「暗黙の了解」や「あうんの呼吸」という言葉にみられるように、日本人の集団に流されやすい意思決定や曖昧な意思表示などの特長が指摘されており、また、事実であるとも感じます。しかし、調和を重んじてきた日本の文化を否定するばかりではなく、その良さも多いに評価するべきだと感じます。企業において仕事の目標を達成するためには、個人の働きだけではなく、集団として一体となり取り組まなければいけません。特に、建設産業におけるものづくりについては、仕事に携わる全員のチームワークが重要となります。一つの目的に一致団結して取り組んだとき、その力はより大きな成果を生むのではないでしょうか。そして、そこには全員の信頼関係が不可欠なのです。また、義理と人情に厚い日本人のよさは、海外でも評価する人がたくさんいます。時代が大きく変化しているのは事実ですが、日本人の培ってきた日本人のよさを、安易に忘れてはいけないのではないかと感じます。

 冒頭でお話したように、時代の流れは非常に速く、グローバル化が進んでいます。私たちは、このような時代の中、その流れに適応し生きていかなければいけません。時には、時代に翻弄され、つらい状況に陥ることがあるかもしれません。そんな時、ちょっと一息ついてみるのもいいのではないでしょうか。こういう時代だからこそ、日本の文化を再確認し、忘れかけている日本のよさを満喫してみてはいかがですか。きっと、安らぎを与えてくれると思います。(04.01)

<参考資料>
江戸アルキ帖:杉浦日向子/新潮文庫
図説 大江戸:小木新造/実業之日本社
江戸の町(下):内藤昌・穂積和夫/草思社
ビゴーがみた世紀末日本:清水勲/平凡社
江戸東京博物館パンフレット


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