1960年代後半の日本経済は、高度経済成長期の真っ只中にあり、技術革新の加速に伴う大型プロジェクトの群生を背景にして、建設業界も好況ムードに支えられます。各企業の受注の伸びは大きく、労働者不足の深刻化とともに組合員の超勤増は極めて深刻な問題となっていました。
この事態を打破するために、日建協で時間短縮連絡会議が設置され、『日曜日の全休』『土曜半休』『週当たりの労働時間を40時間以内』『夏季休暇の新設』などを当面の目標として建設業内外に運動を展開しました。特に全日曜全休運動は、日建協の長年の取り組みが経営者団体を動かし、1976年4月からは、建設業界56団体でも日曜全休の推進を打ち出し、労使一体の運動となりました。
1976年4月の日曜日の全休実施率は59.7%と過去最高の数値となり、更に運動の機運を高めていきました。1974年から75年にかけては、日本経済の低成長期に伴い、工事量が減少という背景も追い風となり、土休制度を導入する会社も増え、何らかの形で土休制度を導入した加盟組合は42加盟組合中23組合となりました。
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