1954年12月12日、日建協は16単組9,000人の組合員をもって結成されました。当時の建設業においては、戦後最大の好況を呈しつつありましたが、公共事業費の削減により、出血入札が一般的な現象となっており、企業においては苦しい時代が続いており、結果として労働者に長時間労働や賃金切り下げなどのしわ寄せが強いられる状況でした。また、機械化による生産性向上により工事量が毎年3〜4割も増え続け、ますます建設工事は忙しくなり、建設業界の封建性も背景に、組合員は日曜日も休めず、残業は慢性化し、人間らしい生活をしたいという願いは非常に強まっていました。
日建協では1957年にはじめてこの問題を運動方針に掲げ、「現場全休制運動」を日建協初の統一行動としてスタートしました。しかし、要求はするものの工事量の増加による人員不足により実施は非常に困難でした。
1961年には労働省より都道府県労働基準局長あてに「建設業における一せい週休制推進要綱」と題した通達がだされました。1962年には、日建協は労働大臣あてに、建設現場における第一、第三日曜全休日実施についての要望を提出し、この頃から徐々に地方自治体も第一、第三日曜全休制を義務付けるところも多くなり、ようやく世間に着目される成果があがりはじめました。
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